2023-05-12

011 アイオアの「鐘」
1967・05 アイオア・アメリカ

ロスから南回りでエルパソ ダラス セントルイス マイアミ・・・ 

心地よい揺れとエンジン音はいつものように眠気を誘う

アメリカ最南端の島から橋でつながっているキーウエストに着いた

南部の景色は緩い丘が幾つもの連なっていて 広いアメリカを体感 

直線道路が地平線まで続いている

最南端から取って返して北上 インディアポリス デトロイトとバスの旅は順調だった

シカゴに着いのは 米国に来て約一か月は経っていた

日本から一通の手紙を大切にリュックにしのばせていた

YMCAホテルのスタッフに 住所から電話番号を調べてもらい

中部の都市アイオワ市に住んでいる彼女に電話した。

相手が出るまでの数秒間は長く感じられた

ドックン ドックン心臓の音が耳に響いて五月蝿かった

電話に出たのは母親だった

事情を説明して 彼女と話がしたい旨を伝える

彼女はもうそこには住んでいなかった

結婚して別のところに住んでいると電話番号を教えてくれた

伊勢湾台風から8年後のことであった

高校時代 私立のカソリック系の学校では校則が厳しかった。

ズボンの幅から髪の毛の長さまで・・・

男女交際禁止 発覚すると三日間の停学 従妹でも許されなかった

そんな中で許されていたのが唯一海外文通は女性でもよかった

いつの頃か始まり 誰かが始めると我も我もと広がった 

アメリカ ドイツ イギリス スペイン オーストラリヤ マラヤ ブルガリア 

名犬ラッシーを見てカナダもいいかなとますます広がって

一日おきにどこかの外国から手紙が来るようになっていった

英語の勉強に勉強にも役に立ち 切手にも興味があった

そんなある時 ドイツからの手紙に

映画に出ることになったと嬉しい知らせがあった

4年後映画館で彼女を発見 本当だった事を知る

女優になった ザ・ヴィーネ・シーニエン 

心のこもった伊勢湾台風の見舞いの手紙を今でも大切に持っている

環境がよかったのか 海外文通は普通の愉しみの一つなっていった

十数か国のペンパルの中でマーサ・Sだけは こまめに手紙をくれていた

日本を出ると決めた時から 

彼女だけはぜひ会ってみたかった

グレイハウンドバスのタイムテーブルで時刻を調べ

電話で知らせておいた

シカゴを朝出て 日が落ちるころ アイオワ市に着いた

両親とマーサと獣医の旦那が快く迎えてくれた

彼女の両親は牧場を経営していた

手紙で書いてくれた ランチを知らせる鐘を見せてくれたり

湖や森や小川・・・ 記憶を呼び覚ましながら巡りまわった

両親も手紙のことはよく知っていて 話題に参加してくれた

母親は子育てを終わり自由になったので 

アイオア大学で勉強しているという

日本と違い学歴のためではなく 

自分のやりたいことを深めるための大学通っているという

いつか日本もこうあるべきだと羨ましかった

愉しい日々は流れ星のごとく過ぎ 

Msマーサはじめ皆さんの温かい見送りをうけて

アイオア市を後にした

広大なアメリカは 地方色がはっきりしていて

人びとの中に入り込み 旅をするには面白いところであった

家族と