2023-05-12

026 至福のご褒美?
1989・05 パリ・フランス

バブル全盛期の頃 1988年晩秋

日本合理化協会主催の 「耳寄りな情報を耳にする会」が毎月1回開かれていた

年会費35万円は高かったが情報を求めて全国から 毎月400人以上が東京丸ビル

最上階セミナーホールに集まってきた

志を同じくする会員の必要な情報収集や 人脈づくりに役に立っていた

その例会では「本物とは何か」をテーマに ヨーロッパツアー15日間の旅が発表された

今 世界で何が起きているかを実感する視察 ホテルやレストランもトップクラス 

飛行機はエコノミークラス利用でも総額128万円 

ファーストクラスは200万円を超えていた

魅力的なテーマだ バブル期でも迷った末 エコノミークラスで申し込みをした

選んだ二つの理由 

  1. 貧乏旅行は経験しているがハイクラスの旅にも興味があった
  2. どんな人が集まってくるか? 知ってみたい期待もあった

翌年1989年5月成田国際空港 出発ロビーに集まって 

会議室に移動したのは38名 約10% わかっていても実行できる人はそんなもんだ

簡単な自己紹介とブリーフィングが行われ ほぼ定刻通り離陸した

機内食は当然期待していなかったが 眠るため控えめに食べる

眼を瞑り うとうとしていると

後部座席から話し声が聞こえてきた

「申し訳ありません それは当社の規定で致しかねます」

「孫と約束したから何とかならないか?」

振り返ってみると大阪 不動産会社のS社長だ

時計を見る 現地時間午前2時を回っていた

「コックピットの写真」という単語に反応して 気になって席まで行き小声で

「どうしてもコックピットの写真が欲しいですか?」

頷く老夫婦

やるだけやってみようと 名刺の裏に要件を書いて客室乗務員に

「これをキャプテンに見せてください」

何か言いたそうだったが しぶしぶ受け取ってくれた

しばらくして

笑顔でキャプテンのメモを持ってきた

「ご都合の良いときにお越しください」

怪訝そうなS社長の耳元で カメラを忘れないように伝え

離れないように 客室乗務員を追って階段を上がる

ジャンボジェットの2階 通路の突き当りにはカーテンがあり 中にドアがあった

ノックするとしばらくしてドアが開いた

ザーという空気を切る音と共に コックピットが目の前にあった

「どうぞ どうぞ・・・ 」

左席のキャプテンが笑顔で迎え入れてくれた

「SK教官の家を設計したのはあなたですか!庭の取り方の工夫には感心していました」

旅の2年前 横浜でお仕事したクライアントの職業を思い出していた

ジャンボジェットの教官なら教え子がいるのではと期待したが それ以上の縁だった

S社長は遠慮気味に2-3枚写真を撮り 満足して席に戻っていった

目に優しい水色と緑の整然と配置された計器類は 刻々変わる情報を伝えている

眼下には雲海が島のように点在し 広大なロシアの大地が 夜明けを待っていた

良いことをしたご褒美か?  特別席からの眺めは至福の時間を超越していく

トイレから戻ってきた機長を確認して 副操縦士は酸素マスクを外した

「ほぼ定刻通り シャルルドゴール国際空港に到着します」 

あともう少しという雰囲気 空気を察知

お礼を言って席に戻り もうひと眠りする

初めてのパリは1967年の初秋 極北の地ラップランドで知り合ったレイ子・Pと再会するためサン・ジェルマン・デ・プレ教会前の老舗店 カフェ・ド・フロールを探していたとき

映画撮影の一段に出会い 「岸 恵子」も出ていて やはりパリは華やかな都・・・ 

として記憶されていた

4度目のパリ 旧市街は相変わらず歴史が止まっていた

対照的にルーブル美術館 コンコルド広場 凱旋門というパリの歴史軸の延長線上に

視察のメイン 都市再開発地区 ラ・デファンスがあり何本もの高層ビルが建築中で

まさに新凱旋門のように聳え立っていた

世界のトップクラスの建築家がコンペで勝ち取った 面白いデザインの建物群に

目を奪われていたが 残念ながら時間切れ

バスの旅に代わり チューリッヒ・スイスに向っていた

その後 とんでもない事件が起きるとは思ってもいなかった・・・

旅はいつも冒険とロマンに満ちている

注:30年前はサービスの一環としてコックピットに入室許可されることもありましたが 

9.11テロ対策の一環として立ち入り禁止が強化されましたので現在は出来ません