「世界のどこかで また逢いましょう・・・」
耳から離れない ギャルダ・Pの最後の言葉
言えばお互いに辛くなるから・・・
言いたいこといっぱいあったのに 胸に秘め言わなかった
帰国後 仕事に忙殺していく毎日が続く
建築士の国家資格を取得 技術者経営者としての修業
父の唐突な死出の旅立ち 後継ぎとしてゼロからの出発
気が付けば11年経っていた頃
大型プロジェクトの一環として 北欧視察するチャンスが来た
1978年10月末
太陽は沈みかけている15時 オスロ・ノルウェー空港に降り立った
逸る心を抑えて 手早く目当ての視察を終え
翌日 あれこれ考えても言い訳しかならない
兎に角 逢いたい想いを胸に
ストックホルム・スウェーデン行きの列車に乗りこむ
1967年の記憶が蘇る 河を縫うように走る列車
手を振ると手を振り返す人々もいた
チャップマン号も停泊していた
料理学校レストランを訪れるが経営者は変わっていた
視察はしっかりしてコペンに向かう
ABCレストランは存在していたが店の業態は替わって
キャフェテリアになっていた
記憶を伝って迷いながら 彼女のアパートに向かう
あるはずの場所に 別の建物が立っていた
チボリ公園や旧市街に ギャルダ・Pの面影を追って彷徨うが
もうギャルダ・Pはいなかった
自分の幸せより相手の幸せを優先する 本当の愛のカタチを教えてくれた
フリー・セックスではない セックス・フリー(恋は自由)と言って窘められたことも
放浪の旅に出たペール・ギュントを待ち続け
年老いて戻って来た彼に子守唄をうたう ソルベェイグの深い愛を
重ねている自分がいた