大勢の柔道ファンが拍手でむかえてくれた
えっ! 聞いてないよ こんなにたくさん集まっているなんて!
案内されるまま 中央階段を上り 内心は逃げ出したい気持ちを抑えて
笑顔で指定された席に座った
「では ここで本場の日本からやってきた友人に
模範試合をやっていただきましょう」
なんて言われたらどうしよう?
一瞬 不安が過ったが、
大会委員長アルフォンゾのユーモアを交えた挨拶は終わり
指名されてマイクの前に立った
心臓の鼓動がドクンドクン 耳の中を駆け巡っていた
「日の昇る国からやってきた 加納 隆と申します」
ここで言葉を切った どうせ大した英語力は無いからと腹をくくった
あえて、日本と言わず「日の昇る国」と言ったのは
52年前の頃は 日本に対する認知度は低かったからだ
バス旅行ではよく隣の人が話しかけてくる。
「どこから来た?」
「日本」
「その国はインドの隣か?」
真顔で聞かれると返答に詰まった
お前の国にはこれはないだろう?
とボールペンを見せ 土産に持っていけ とくれる
よほどの後進国と思われている
バスの横をホンダのオートバイが追い抜いて行くのに・・・
それ以後 日本と言わず「日の昇る国」 The country of rising sun
と言ったほうがよほど理解は早かった
何を話したかの詳細は記憶にないが
親切なアメリ青年に助けられ ここで挨拶できることは大変幸せです
大学で建築の勉強をし 設計事務所に3年在籍し
自分探しの旅に出た事
ハワイ サンフランシスコ ロサンジェルス エルパソ フェニックス ダラス セントルイス
タンパ マイアミ キーウエスト ジャクソンビル インディアナナポリス アイオワ シカゴ
デトロイト モントリオールの万博を見てボストンに着いた
つまり 南回りでアメリカを横断し 建築家ポール・ルドルフの作品
エール大学建築芸術センターを見に来たことなど
知っている英語を必死にしゃべり 「サンキュー」で締めくくった。
全身汗でびっしょりだった
拍手の多さで 何となく解ってくれたんだと言い聞かせた
審判席に座り トーナメント形式の試合が始まった
判定は日本語だったので 助かった
判定が割れるとアルフォンゾが「どっちだ」と聞いてくる
「オオソトガリ」 一言で決まる
何しろ日本の「黒帯」が言っていることだから 信頼は抜群だ
全試合は興奮のうちに何事もなく終了した
別れの前夜 サヨナラパーティを開いてくれた
審判員はじめ彼女のドリスも参加して 楽しい夜は過ぎていった
ご機嫌のアルが寄ってきて
「次はどこに行くんだい?」
「NYかな?」
「じゃ、いい人を紹介してやろう」
と言い残し消えた
「お前はラッキーだ。」
「ナナは明日 NYに車で帰るんだって」
「ナナ?」
当時はオリエンタルなものは流行っていて
ナナはその中でも超売れっ子モデルらしい
「1000ドル/時間 稼ぐモデルはそうはいない!」
誇らしげな顔で呟いた
翌日のランチのアポも取れていた
日本脱出して1か月半 会うのが楽しみな 夜だった
アルとその仲間たちは今でも「黒帯」と信じてくれているに違いない